2013年4月11日木曜日

早期英語教育

以前ちょっぴり英語の先生をしていたこともあって
「やっぱり英語は早いほうがいい?」とよく聞かれるのだけれど
正直言って、何と答えていいかわからない。
1歳未満で英語教育を受けると、LとRの発音を聞き分けられるとか言うけれど
話せるようになるには、継続しなければ意味がないわけで
低年齢でスタートを切ると、親は本当に大変だと思う。

少し話は逸れるけれど、私は山口生まれの山口育ち。
大阪生まれで大阪育ちの母に育てられた私は、言葉で苦労した。
「なんか変な話し方」と時々言われるので、昔は人と話すことが苦手だった。

週に一回「関西弁教室」なるものに幼い頃から通って、関西弁を習得できるか否か。
おそらく赤ちゃんの時から毎日関西弁で育てられている私のほうが
関西弁をペラペラに話せるようになるだろう。
言語とは、教えられるものではなく、環境のなかで自然に身についていくもの。
お勉強ではないのだ。

ところが、日本の英語教育はお勉強。教育だし。受験科目だし。
can=be able toだとか、現在完了だとか。
has +過去分詞だから…とか頭の中で考えながら英語を話す人がどこにいるのか。
Can I 〜?とMay I 〜?のニュアンスの違いとか教えないで
How are you?ときたらI'm fine, thank you!  And you? 
なんで日本人はすぐI'm fine, thank youて言うのかと聞かれて困ったことがある。
…たしかに。学校で6年も習ってなぜ英語を話せないのか、とも。耳が痛い(笑)
つまらないのだ。英語の授業はつまらない。だから英語嫌いとかになる。

英語教室は英語ペラペラになるために行くのではなく
英語というひとつの言語を通して違う世界を見る、その最初のステップだと思う。
幼い頃に受けた楽しい経験は、ずっと残る。
英語っておもしろいなと思うことで、学校の英語もスムーズに入れるかもしれないし
いつか外国でこんな仕事をしてみたい、なんて考えるきっかけになるかもしれない。
英語をペラペラに話せるなんてことはあまり大したことではなく
どんなことを英語で話したいのか、何を伝えたいのか、これが一番大事。
必要のないものを身につけることほど無意味かつ大変なことはない。

英語という、母国語とは違う言語を通してコミュニケーションをとることは
幼い子どもにとって大きな刺激になる。
だから、高い英語の教材を買ってひたすら家で学ばせるということには反対。
英語はコミュニケーションツールなのだから、発する場所がないと意味がない。

私が考える、英語教室に通うメリットは
・幼い頃に楽しい経験をさせることで、英語や外国に興味をもたせる
・家庭や幼稚園以外の場でコミュニケーションをとる機会を与える
この2点。


英語を話せるようになるというのは、目的ではなく結果。
私は家庭や幼稚園以外の場で子どもと関わりたくて英語の先生になった。
子どもは家庭からも幼稚園からも逃げられない。
でも英語教室なら、適当な理由を言っていつでも辞められる。逃げられる。
だからこそ、教室のなかの子どもたちはいつも自由でのびのびとしていた。
近所に住むやさしいおばちゃん家に行って、他愛もない話して遊んで帰る感覚。
時には親には言えないことも言う。そんな場所を目指していた。
英語を話せる話せない以前に、コミュニケーション不足なのだ、だいたい。
コミュニケーション能力の低さ。
ここをクリアしなければ、外国人と堂々と英語で意見を交わすなんてできない。
英語をペラペラにというのは、そういうことなのだろうから。

クラスを受け持つ時に、いつも言っていたことがある。
 ありがとうはthank youだよと、ただ日本語を英語に置き換えるのではなく
 どんなときにthank youを言えばよいのかを自然に身につけていく
 そういうレッスンを私はしていきたい、と。

いつかまた、英語の先生をしてみたいなあと思う。
また、いつか。

…今気がついたのだけれど。
文章を書き続けることで、子どもがいないさみしさを埋めようとしているな。
日に日に文章が長くなる。明日は2ページに渡るのだろうか。

子どもは今日も笑顔で手を振って元気に登園していったけれど
私の子離れはまだまだ先だなー(笑)
はよ帰っておいで。母はやっぱり…まだちょっとさみしい。